自己紹介と、知らなかった世界について
先日の地震、ちょうど娘の吸引中でした。
私たちの場所では震度は1-2?程度だったようです。。が、久しぶりに長く揺れたので、すぐテレビをつけました。
すると津波警報の文字。。
5年前の震災が一瞬でフラッシュバックして、鳥肌が立ちました。あの時の恐怖は自分の記憶の奥底に深く刻まれているんだなと実感しました。
万に一つの事態が、現実になった時だったし、私たちを大きく変えた瞬間だったと思います。
どうかこのまま大きな被害なく落ち着いていってほしいものです。
diaryに登場する家族の紹介させていただきます。
母:私です。アラサー。医療従事者。
登山や旅行が好きです。
今まで行って良かった山は赤岳、唐松岳。
ちなみに好きなお酒は日本酒。でもビールも好き。
育休中ですが、タイミングを見て少しづつ勤務に戻る道を模索しています。
父:夫です。アラフォー。同じく医療従事者。
相当な旅行好き。
。。のあまり、2年前一旦辞職、夫婦で8か月のバックパック世界放浪旅をする。
特に好きな国はスペイン、モロッコ、だそうです。
お酒は全般に好き。焼酎なら芋が好き。
2人とも医療従事者なので、医療的な手技や治療については不安なく理解でき対応できます。
ですが、「医療が生活になる」というのは、あまりに違っていて、日々新たな発見があり驚いてばかりの毎日です。
「頚定しない子って、まさかずっと横抱き!?重くなったらつらいんじゃ。。」
「手動吸引、気づいたら横倒れなってるしーべちゃべちゃやし。。」
「筋緊張入ってると、全然仰向けになれない~!オムツ変えにくすぎる・・・」
「眠い・・・もう寝たまま吸引しよ。」
などなど。。。
普段の医療現場では、物品は当然ディスポだし、必要なものは常に揃っている。
生活は
他のブログを拝見させていただくと、実に皆さん様々な工夫や、コツで対応されていることを知り、とても参考になると同時に、カルチャーショックでした。
生活と一緒くたになった医療ケア、日常と入り混じった医療の姿。
私たちが知らかなった新しい世界であり、目が覚めるような気持ちでした。
今日は雪ですね。
こちらは20㎝くらい積もってしまっています。。
予定受診、と感謝の気持ち
昨日はお天気が悪かったですね。
そんな日は自宅でゆるり過ごしました。
もともと家でじっとしていられない性分な母、出かけられないとなかなか気分は上がりません。。。
(娘は帰ってきて1-2週後から、徐々にお出かけ挑戦しています!)
さて先日、娘が生まれた直後~5か月間入院していた小児専門病院へ、退院後フォローの診察に出かけてきました!
(かかりつけ病院は近隣の総合病院小児科です)
高速で1時間ほどかかるので、さすがに母1名では高速中に適宜吸引できない・・・ということで、こちらも自宅から高速で1時間ほどのところに住む母両親に運転&援助に来てもらっていってきました。
(実家が遠い家庭ではこういう時どうやって通院しているのでしょうか。。)
新生児科では退院後の生活の報告、小児外科では胃瘻の診察でした。
退院後フォローなので、診察自体はさらっとしたものでしたが、受付や吸引や移動や吸引やおむつ替えやらで、結局正味3時間くらいかかりました。慣れていないのもあって、ばたばた。。手伝ってくれ、ずっと娘に話かけたり、抱っこしたりしてくれたり。お昼をまたいだのでずっと空腹だったろうに、、両親にはとっても感謝です。
突然「お顔のマッサージ」といってほっぺを引っ張り出す祖母。
と、この時うれしいことがあったんです!
診察のために待合椅子にいたら、NICUにいた看護師さんが、わざわざ顔を見に来てくださいました!
1年目の男性看護師さんで、NICU時代「今日はこんな風に過ごしてましたよ、髪さらに伸びましたね~、体重増えて本当に良かった、お風呂よかったね~、」。。などなど、仕事なんだけど嘘のない、一緒に成長を楽しみにしてくれているのが伝わる言葉をたくさんかけてくださった方でした。1年目なので、仕事はまだまだ力いっぱい感があって、しょっちゅう顔中汗びっしょ・・でしたが。。。
「受診するの知ってて、会いに来たいなって思っていたんです!」
「会えるかなと思って、来ちゃいました!」
「おうちに帰れてよかったね、また身長伸びたね、お顔は変わらないね~」
「またね、がんばってね」
と。。。思わず母がジーンときて、嬉しくてちょっと涙ぐんでしまいました。
当の本人は、絶賛うんちさんで、おむつ替えでお尻まるだしになってましたけど(笑)
本当にうれしい出来事でした。
感謝すること、感謝を伝えること。
娘が生まれてから、私のkey wordの1つとなっています。
悲しいことばかりだった新生児~2か月くらいのころ、何とか頑張れたのは、家族やスタッフ含めた周囲の支えでした。
もともと、なかなかの人見知りの私(・・と夫も)。娘がいなかったら、私生活で新しい人とどんどんかかわりを持つことはなかったでしょう。関係を持つ中で、ちゃんと「ありがとう」を伝えたいな、と穏やかに思うようになりました。
下記、NICU転院時にスタッフの方にあてたお手紙です。
記録の一つとして、書き残させてもらいます。
【思いがけず、5ヶ月という長い期間に渡り、
今日は晴れになるかなー。
ついに在宅へ&娘のご紹介
あれよあれよという間に、11月も半ばになってしまいました~
10月中旬、5か月と少しの長いNICU入院生活を経て、娘が家に帰ってきました~!
(正確には、5か月間の遠方の小児専門病院NICU+10日間の比較的近場の総合病院NICUでした。)
特に生まれてから~2か月くらいは、毎日のように告げられる娘の病態や障害のことなどに戸惑い悲しみ。。
思えばぎりぎりの精神状態だったように思います。毎日のNICU通い。。母としてできることもほとんどなくて「面会に行く意味あるんだろうか」とすら思った時期も。
今も、障害を含めたすべてを受け入れたぜ!というような、さっぱりとした気持ちではありません。
でも、周りの方の支え、半年という時間のお薬と、そして何より日に日に愛しく思える娘のおかげで、今はずっと落ちついて、穏やかに日々を楽しんだり、考えたりすることができるようになりました。
帰ってきて1か月弱。。思ったよりずっと落ちついてくれている娘です(夜以外・・)。
やっと始まった私たちの初めての育児(笑)。少しづつリズムになれて、日常をだらりと普通に過ごしたり、遊びに行ったり、時に一緒に挑戦をしていけたらな~と思います。
自宅でくつろぐ娘氏。日常にこの光景が見られる日が来て、よかった。
娘の紹介を簡単に。。。
★2016年5月生まれの女子、夫婦のはじめての子
★2日前からの胎動低下あり、緊急帝王切開で出産となる
★重症新生児仮死あり、直後に遠方の小児専門病院NICUへ搬送される
★MRI検査などから低酸素性虚血性脳症、重症脳性麻痺と診断される
★筋緊張あり、自発的な動きはあまりなし
★吸てつ反射なく嚥下障害あり、経鼻胃管からミルクを注入するも、胃食道逆流あり、
嘔吐、誤嚥、肺炎のエピソード
★対策としてにEDチューブ(先端を十二指腸に留置)に変更、24時間少量持続注入になる(胃瘻+Nissen手術の選択肢を提示される)
★頻回にEDチューブが詰まり、入れ替えをする
★胃瘻手術を決意、9月に手術となる(腹腔鏡下でした)
★安定後、近場の総合病院NICUを経て、10月中旬に自宅退院となる
ざっくりとは、こんな感じです。
ちなみに、嚥下は全くみられないので、吸引は頻回です。
起きていると10~30分に1回。寝ていると1時間~2時間に1回くらいかな?
時間間隔のわからなくなるような6か月弱でしたが、夫にも家族にはとても支えられました。たくさん悩み、考える日々でした。
胃瘻選択の経過など、詳しいことは後々に書いていけたらと思っています!
はじめての外出で。。えらい娘が鮮明に見えて、夫婦でびっくりしました(笑)。
やっと現実世界に来てくれた~って感じです!
はじめまして。
初めまして。
この度、ブログを始めてみることにしました。
きっかけは、この5月に誕生した長女です。長女は重症新生児仮死で生まれ、低酸素虚血性脳症のために重度の脳性麻痺となりました。
誕生から3か月。。母である私にとっても、夫にとっても、そして娘自身にとっても苦しいや悲しいの多い時間でした。。。ですが、そうはいっても人間ずっとは落ち込んでいられないもので。。。今は、ようやっと前を見て歩き出せるようになりました!
私たち家族の日記として、私自身のアウトプットの機会として、それからブログでのいろいろな方との出会いを期待して、すこしづつ書き溜めていけたらと思っております。
娘は現在3か月、まだ遠方のNICU入院中です。
来月~再来月の自宅退院を目指して、準備しています~。